なぜ小説は泣けるのか。小説は映像作品よりも明らかに涙腺が弱くなる

なぜ小説を読むと満ち足りた気持ちになるのだろう。

僕は映画やドラマで泣くことはほとんどない。しかし、なぜか小説だと簡単に泣いてしまう。小説を読むと明らかに涙腺が弱くなる。

僕の趣味はゲームだが、ゲームでも泣くことはほとんどない。ストーリー性のあるゲームをほとんどしないからだ。僕の好きなゲームはサンドボックス系、アクション系、ローグライク系など泣く要素なんて無いようなゲームばかりである。

ゲームで泣きそうになった記憶は大昔にプレイしたFF10くらいである。終盤の流れは目頭が熱くなった。

読書家の人たちから見たらゲームなんて幼い趣味だと思われるかもしれない。でもゲームと小説って意外とリンクしている。ゲームをプレイしていると小説を読みたくなる瞬間がある。

たとえばタクティクス・オウガをプレイすると小説を読みたくなる。タクティクス・オウガの小説版があれば確実に購入して読んでいたが、残念ながら存在しないので代替小説で我慢したりする。ロストオデッセイの小説版も読んだ。読んだのが昔過ぎて詳細は思い出せないが、面白かった覚えがある。たしか重松清が書いていた。重松ってこんなのも書けるんだな。さすがプロだと思った。(小学生並みの感想)

ゲームにも小説のようなジャンルがある。いわゆるビジュアルノベルである。でも僕はこの手のゲームはほとんどプレイしない。理由は登場人物が頭おかしいやつばかりで感情移入ができないからだ。そんなキャラいねえよ!とゲンナリしてしまう。

たしかにゲームなのだからそんなキャラがいてもおかしくない。これはゲームなのだという現実に一気に引き戻されるだけだ。でもノベルゲーでこれは致命傷ではないだろうか。

ゲームを含めた映像作品はどうしても作られた作品を見ている感じがしてしまう。ゲーム歴が長いからか、現実とゲームを完全に分けて考えている。だからホラー系もまったく怖くない。バイオとかサイレンとかやっても何が怖いのかさっぱりだった。だってゲームだからね。

こんな僕でも小説は泣いてしまう。

小説だって作られた作品なのに泣いてしまう。だって作り話だろ?とはならない。

不思議なものだ。

小説をあまり読まない人間だからテキストに耐性がないのかもしれない。読み続けていくと泣かなくなるのだろうか。おそらく、泣けると評判の小説を読んだら100%泣くと思う。浅田次郎の天国までの100マイルを読んだきも涙が止まらなかった。我ながら涙腺が弱すぎである。

でも映像作品で泣けると評判の作品を見ても泣いたことは皆無。映像作品のほうが見ている本数が多いのに泣いたことは無いのだから小説とは確実に何かが違うのだ。

当たり前だが小説には映像がない。映像部分を自分で補完しながら読むことになるが、この行為が感情移入するのを手伝ってくれているのかもしれない。

僕は小説をあまり読まないので、いわゆる名作の類もほとんど読んでいない。

これからいくつか読んでみようと思う。僕にピッタリの小説があればボロボロになるまで読み返すかもしれない。ちなみに泣くために小説を読むわけではない念のため。

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