シレンなどの不思議のダンジョン系のゲームを運ゲーと呼ぶと、なぜか怒られる。
運の要素は確実にあるのだから、そこまで否定しなくてもいいのではと思うのだが、全力で否定される。
欲しい装備やアイテムがまったく落ちないとか、序盤で敵に囲まれるとか、自分の実力ではどうしようもないことはザラに起こる。
運の要素があるのは確実である。
その運ゲーを自分の知識や経験などで少しでも実力ゲーに変えていくわけだ。だが、いくら上手くなっても完全な実力ゲーには絶対にならない。運は最後までつきまとう。
運の要素で左右される部分が少しでもあるのなら、それは運ゲーである。
極論だと思うだろうか?
いや、運ゲーを認めない人のほうが極論である。
落ち着いて考えてほしいのだが、
- 運の要素があるから運ゲー
- 運の要素があるのに運ゲーでない
どちらの主張が真っ当だと思うだろうか。どう考えても1の主張のほうが筋が通っているだろう。
シレンには運の要素自体がまったくないと言ってくる人は、さすがにエアプ認定をせざるをえない。
実力で運の要素を少しでも減らすことは出来るが、基本は運ゲーなのである。
理解していただけただろうか。