今回のテーマは松下幸之助だ。(敬称略)
幸之助については以前から書きたいとは思っていた。経営者でなくても、幸之助からは学ぶべきことが多い。
日本人で知らぬ人はいないだろうが、松下幸之助はパナソニックの創業者である。古い人は松下電器のほうが馴染みがあるかもしれない。
一代で世界的な大企業に育て上げた日本を代表する経営者である。経営の神様などとも呼ばれている。
松下幸之助の略歴
幸之助の生き様を駆け足で解説する。
生誕から独立まで
1894年11月27日、和歌山県海草郡和佐村で生まれる。
10歳で自転車屋で働く。
15歳で大阪電灯に入社。
20歳で結婚する。
22歳で大阪電灯退社。
23歳で松下電気器具製作所を設立。アタッチメントプラグと二灯用差込みプラグを販売する。
独立から株式会社化まで
28歳で砲弾型自転車ランプを考案販売する。
32歳でアイロンをヒットさせる。
40歳で株式組織化。
株式会社化から永眠まで
51歳でPHP研究所を設立。
57歳松下電子工業設立。
62歳で全国にナショナルショップを導入。
70歳で完全週休二日制を導入。
84歳で松下政経塾を設立。松下電池工業を設立。
1989年4月27日、94歳で永眠
経営の神様とまで呼ばれる理由
幸之助が経営の神様と呼ばれていることはすでに書いた。たしかに、誰にでもできるようなことではないので、神様と呼ばれる理由も分かる。
しかし、一代で大企業を作り上げたのは別に幸之助だけではない。なぜ幸之助だけ経営の神様と呼ばれているのか。
それはやはり幸之助自身の人柄であろう。幸之助を尊敬している経営者は多い。
幸之助から学ぶこと
パナソニックは最初から大きかったわけではない。吹けば飛ぶような街の電器屋からスタートしてここまで大きくなったのだ。
時代や環境が違うため、すべてを参考にするわけにはいかないだろうが、同じ経営者が参考にならないわけがない。参考になるところは積極的に取り入れいていこう。
人をつくる
幸之助が経営で大事にしていたのは、商品を作る前に人をつくるということ。
商品を作るのも人間なら使うのも人間である。人について深く知る必要がある。人として欠落していると、いい商品が作れるわけがない。
至極もっともな話である。だが、これを忘れている経営者が多いような気がする。
素直
ありきたりな言葉だが、幸之助は素直さを大事にしていた。
幸之助は相手が誰であろうが、感謝すれば深く頭を下げるし、話を聞くときも相手の年齢関係なく真剣に聞く。
これは素直さがあるからだろう。
成長してプライドが高くなってくると、どうしても素直に人の意見を受け入れることができなくなってくる。そうなると人として成長は止まってしまう。
そのことを幸之助は分かっていたのだろう。だからこそ、素直であることをとても大事にしていた。
松下幸之助の書籍ついて
幸之助は何冊もの本を残している。
有名な経営者が本を書くこと自体は珍しいことではないが、代表作である「道をひらく」は、なんと累計400万部も売れている。幸之助はベストセラー作家でもあるのだ。
興味があるなら、三部作である『道をひらく』『続・道をひらく』『思うまま』を読むこと。この三冊を読むだけで幸之助の考え方が分かるはずだ。
幸之助に関連する著名人
ヘンリー・フォード
フォード自動車創業者。幸之助はアイロンを売る際に、フォード自動車の経営を参考にしたことがある。アイロンを大量生産して安く売ることに成功した。
井植歳男
幸之助の親戚。三洋電機創業者。元松下電器専務でもある。幸之助を庇うかたちになって松下電器を辞職した。
最後に
幸之助は経営の手腕も素晴らしいがそれよりも運が強かった。これは幸之助の身近な人間たちが認めている。実際に神がかり的な運の良さも持っていたのだろう。
松下幸之助が経営の神様と呼ばれている理由が分かっただろう。